ヒトの生産性を測る・・・これって良いことでしょうか?悪いことでしょうか?
昨今では、ひと頃行き過ぎた成果主義への反省もあるようです。
しかし測らなければ何も始まりません。測ることこそがヒトを育てる第一歩です。
おそらく・・・
毎日生産性を測られ、それで成績を付けられると言われたら少し嫌な感じがします。
生産性なんか測られなくたって、自分は精一杯にやっている。
否、むしろモチベーションを損なう。もっと大人として扱って欲しい・・・
そんな風に思うかもしれません。
でも考えてみてください
仮にあなたの隣に、班長への受け答えのみがやたらに上手で
でも実際には殆ど手が動いていない誰か(例えば山田さん)がいたらどうでしょう?
どうみたって、あなたの半分も作業が進んでいない。
それなのに、その山田さんとあなたの頑張りが同じだと言われ、
それ故に賞与も同額だと言われたら?
それは、きっとあなたにとっても不愉快なことでしょうし、
適切な指導を受けてスキルアップをするチャンスが与えられない山田さんにとっても
実は大変に不幸なことなのです。
主観的あるいは客観的に自分の真の生産性がどのくらいかを知り、
適切な指導を受けて成長することこそ、
変化の激しい時代を生き抜くための最大の報酬です。
ところが、この生産性を正しく測るのが、とても難しい。
今から100年前に、自動車をゆっくりゆっくり手作りしていた工場では
1台当たりの標準組立時間というものを定めて管理していました。
目標1台2日に対して、1日で組み立てられたら
生産性が2倍になったねといわれて褒められたのです。
しかし今日では、時間は秒単位で管理されますし、
作る製品もめまぐるしく変わり、標準時間が決められない。
「このエアコンの新モデルを作るのに何分かかるだろうか?
旧モデルの実績は1台5分20秒だったけど、
新モデルでは機能も増えたし、
コンパクトな設計にしたから組立は難しくなっている。
ラインの作業者も非正規の方が増えて熟練度が下がっている。
そうだな・・・ 6分45秒位はかかるかな。
でも厳しく見積もり過ぎて間に合わなかったら大変だ。
ここは8分くらいで計画しておこう」
結果的に、この新モデルは7分で生産できました。
8分が7分に短縮できたとして、祝賀会が開かれました。
生産性向上万歳! カイゼン万歳!
でも・・・
そもそも最初の8分という見積もりには、あまり根拠がなかったのです。
だとすれば、このお祭り騒ぎは茶番ではありませんか?
実は、そんな空しいお祭り騒ぎが日本中で行われているのです。
そこには、100年前の手法からいつまでも卒業できずにいる
日本のもの作り(生産技術)の現実があります。
これが、今日の日本の製造業に元気がなく
世界に立ち遅れてしまった1つの理由だといつも感じます。
ではどうすれば良いか?
答えは・・・付加価値です。
付加価値で考えれば、新しいもの作りのあるべき姿が見えてきます。
それなら付加価値って何でしょう?
それはまた次回に・・・