企業は社会の公器であれ!
経営の神様と言われる故松下幸之助先生の名言で、今では広く浸透している言葉です。
各社の掲げるミッション(理念)は、それぞれの会社の経営方針や事業を勘案して、ちょこっと具体的に自社がどう「社会の公器」たるかを表現したものとなります。
ミッションも今や巷に溢れるようになりましたが、ここまで浸透してきたのはスターバックスの例が世に紹介された後のことです。では何故その必然性を社会が感じるようになったのか、独自の視点で紐解こうと思います。
「共感」と「安心感」は会社にとって非常に大事な要素です。
人が集まり組織になるときには、「共感」が必ず出発点としてあります。
身近なところだと、結婚する時には、この人と一緒になればキラキラ輝く人生が送れそうとか、毎日おいしい食卓を囲んで美味しい味噌汁飲めそうとか、小さな幸せを積み重ねていけそうなどなど、それぞれに求めるものは違っても、お互いに共感があるはずです(政略結婚除く)。
会社を起こすときには、共感はより強いものです。共感が無ければ荒波に漕ぎ出そうなんて思えません。創業メンバーで色んな議論をして、万が一沈没してもこのメンバーなら悔いはないと思えるようになってようやく設立が見えてくるものです。共感するものは、事業内容だったり、世界観だったり、会社で成し遂げたいことだったりと色々ですが、共感するものが無ければ始まりません。
創業期の会社に勢いがあるのは、そういった想いに強く共感している事が大きな要因です。
ただ多くの会社は規模が大きくなるにつれ新しいメンバーも増え(残念ながら創業メンバーが減る事も)、共感の度合いが弱まってしまいます。すると不思議なことに経営も何か波に乗らないという状態に陥ります(経験則です)。
ただこの状態を打開する素晴らしい方法があります。
「成長は全てを癒す」
この魔法の言葉を信じて叱咤激励して前年比xx%成長という予算をシャカリキに達成し続ける経営です。
高度経済成長期からバブル崩壊までは、この方法で多くの会社が上手くいっていました。
当時は日本経営の三種の神器であった終身雇用と年功序列が当たり前でした。会社から首を切られる事も無く、普通にやっていれば給料は上がるし景気が良ければボーナスもたくさん貰える。絶対的な「安心感」がそこにはありました。
一方の「共感」については、成長という魔法によって覆い隠されていたと言えます。「共感」は大事な要素なので本当は意識する必要があったのに、「共感」をことさらに意識しなくてもいい経営が許されていた時代です。
そんな中でも冒頭でも触れさせて頂いた故松下先生のように「共感」を大事にされていた多くの名経営者には尊敬しかありません。
さて今の日本(世界的にもですが)はどうでしょうか?右肩上がりが当然という時代は過去のもので、調子のいい会社もあれば、悪い会社もある。調子いい時もあれば、悪い時もある。ある地域はいいけど、他の地域は良くない。
もはや魔法が通用するのは一部の会社だけで、魔法に頼れなくなっています。「共感」が組織には大事だという事を本能的に社会や経営者が感じ取った結果、ミッションを大事にしようという動きが盛り上がってきたと考えています。
作られたミッションが適切なコミュニケーションによって社内に伝わり、共感が多く生み出されている会社は元気があって強い。これは経験則ですが、まず間違いありません。
一方で共感も安心感もない組織は、見るに堪えられない状況になります。この状況になってしまうと社長がどんなに言葉を尽くし、色んなコミュニケーションをしようとアプローチしても全く想いは伝わりません。この状態を「社員が白けてしまった会社」と私たちは名付けています。
ところでミッションの大事さは分かっても、ほとんどの方にとって今あるミッションはインポッシブルと感じられていないでしょうか?
せっかく共感を生もうと作ったのに、残念ながらそれが組織内で浸透していないケースは多くあります。
社会の公器?そんなのただのお題目でしょ。という白けムードが出てしまっているのは危ない兆候です。次回はその点を書こうと思っています。
最後になりますが、最近いつも元気をもらっている曲の歌詞をもじって今回のタイトルつけました。
「できっこないを やらなくちゃ」作詞・作曲 山口隆
サンボの山口さん勝手にすみません。
アイワナビーア君のちょびっと♬ 夢想家 山口